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ミツマタ [作物の花]

<岡山県真庭市>ミツマタ01.jpg 紙幣が刷新されることがあります。前回は、2004111日、20年ぶりに新紙幣に変わりました。一万円札の福沢諭吉は続投でしたが、五千円札が樋口一葉、千円札が野口英世に。新しい紙幣を発行する一番の目的は偽造防止で、コンピュータの高性能化や低価格化にともない、紙幣偽造に使われるカラースキャナーやコピー機の精度も向上。偽札事件が急増したから、新紙幣の発行なったそうです。

ミツマタ02.jpg 日本の紙幣の偽造防止技術は世界最高水準にあるそうですが、紙の品質も群を抜いています。高額紙幣用紙の原料は、ミツマタを中心にマニラ麻、木綿、ワラなどの繊維をミックス。ミツマタで漉いた和紙は、破れにくく、変色しない、虫がつかないなどの特長があります。ちなみに、前一万円紙幣1枚の製造原価は20円ほどだそうですが、新しい紙幣は手が込んでいる分、それよりもコストがかかっていそうです。単価はいくらくらいなんでしょうか。

ミツマタ03.jpg 岡山県の県北は、このミツマタの産地の一つで、山の斜面などを利用して栽培されています。中でも、財務省印刷局に納めるミツマタを、もっとも多く栽培しているのが真庭市(旧久世町)です。栽培の中心は山あいの樫西地区で、向かうとさっそく道路脇の山の斜面に黄色の花をつけたミツマタの畑を発見しました。ミツマタはジンチョウゲ科の落葉低木で、名の由来は枝が3本に分かれて出ることから。葉が出る前に、枝先に筒状の花が蜂の巣状に集まって咲きます。花の内側は黄色、外側は白い絹毛で覆われていて、遠目で見ると枝先に黄色いポンポンをちょこんと乗せた感じ。彩りの少ない早春の山里に、灯りを点しているかのようです。

ミツマタ04.jpgミツマタ05.jpg 周辺をうろうろ散策していると、山の斜面にかなり広く栽培している畑を見つけました。とはいえ、道路と畑の間には棚田があり、細い畦道をバランスを取りながら歩かなければならず、近づくのも一苦労。この辺りは山が迫っているため、空がとても狭く、圧迫感を感じます。近くの集落の片隅にミツマタの畑を見つけたとき、一瞬、雲間から日が差し、ミツマタの花が金色に輝き出しました。なかなかきれいです。

 樫西地区の和紙工房には、ミツマタでしょうか、樹皮が干してありました。このミツマタの樹皮も、やがて高額紙幣になるのかもしれません。「金は天下の回りもの」といいますが、久世のミツマタでつくられたお札が、いつかは回ってきてほしいものです。できれば、福沢諭吉さんで。

撮影/'00.4.21

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リンゴ(1) [くだものの花]

<長野県松本市・安曇野市>リンゴ(1)01.jpg

リンゴ(1)06.jpg

 かなり前になりますが、ゴールデンウィークを利用して、長野県の安曇野へドライブに出かけました。安曇野という名前の響きに惹かれたのと、たまたま本屋で信州の街道を紹介した本を見つけたからです。その中に、安曇野を貫く「日本アルプスサラダ街道」という道があることを知りました。名前から、野菜の産地を結んだ街道なのだろうと想像はつきましたが、興味が湧き、出かけることにしたのです。

リンゴ(1)02.jpg 安曇野に着いて車を走らせていると、家の脇の果樹畑に白い花と濃紅の蕾をつけた木が何本かありました。この時はまったく花というものに関心がなかったのですが、思わずシャッターを切りました。それがリンゴの花だとわかったのは後になってからです。この体験が、くだものや野菜の花の写真を撮り始めるきっかけともなりました。

リンゴ(1)03.jpg その名の通りくだものや野菜の宝庫である日本アルプスサラダ街道の中でも、リンゴづくりが特に盛んなのが、松本市(旧梓川村)と安曇野市(旧三郷村)です。梓川地区のリンゴ栽培は県内では比較的歴史が浅く、昭和初期には4、5軒の農家が栽培していた程度でしたが、全国に先駆けて接ぎ木による矮化(わいか)栽培技術を開発し、生産が増加しました。三郷地区もまた、果樹の一大産地。標高600700mの栽培に適した気候と立地条件のもとで育てられるリンゴは色つきがよく、果実が引き締まって味も濃い。幹線から外れて農道を行けば、両側は一面リンゴ畑です。

リンゴ(1)04.jpg リンゴの栽培に適した条件は、降雨量が少なく日照時間が長いこと。特に昼と夜の寒暖の差が激しいほど味と色の良いリンゴができます。ほぼ全県でおこなわれている信州リンゴの栽培は、その7割が善光寺平・須坂・中野の3地区に集中しますが、この安曇野、佐久なども主要産地です。

リンゴ(1)05.jpg リンゴは短い枝の先に5〜6個の花芽をつけますが、真ん中が最初に開き、少し遅れて側の花が順に開いていきます。リンゴの受粉にミツバチを貸し出している養蜂家の方から、おもしろい話を聞きました。この最初に咲いた花に、48時間以内に受粉されないと実がならないそうです。花を見るなら満開より少し前が見頃。紅色のつぼみも愛らしく、このつぼみが残っている方がきれいです。青い空と白いリンゴの花とのコントラストが心地好い安曇野の春。観光客もリンゴの花には興味がないのか、幹線を逸れれば観光地とは思えないような静けさです。日本アルプスサラダ街道、好きな道です。


撮影/'97.5.4

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和ガラシ [作物の花]

<山形県鶴岡市>no-title 「カラシを練るときはぬるま湯で」。飲食店でアルバイトをした時に教わりました。ぬるま湯で練ると、酵素反応が促進され、カラシが早く辛くなるというのです。しかし、あのツーンと鼻にくるのがダメで、もっぱら手をめいっぱい伸ばして器を顔から遠ざけ、顔をそむけながら練っていました。みんなの呆れたような視線を浴びながら…。

和ガラシ03.jpg カラシを栽培しているところがないか探していたら、雑誌に和ガラシの種子の収穫の様子が載っていました。場所は月山の麓、山形県鶴岡市羽黒町。「月山の自然を舞台に、何よりも安全な食べ物を作り続けたい」と、有機栽培を志す近在の農家が共同で拓いた農場の和ガラシの畑です。連作障害を避けるための輪作作物として植え、農作業のできない冬に、特産の民田ナスのカラシ漬けをつくるのです。

和ガラシ02.jpg 農場の代表の方に連絡を取り、和ガラシは花を咲かせるのか訊ねると、黄色の菜の花が咲くといいます。なるほど、カラシ菜ということか。花どきの畑を見せていただく許可をもらい、花の咲く時期と畑の場所を教えていただいて、出かけてみました。場所はすぐにわかったのですが、この日はあいにくの天気。カラシ菜の花は咲いていましたが、濃い霧に包まれ、周囲がどんな景色なのかわかりません。残念だけど、自然のことだから仕方ない。このまま帰るのもしゃくです。せっかく来たのだからと、農場の事務所へ。突然にもかかわらず、代表の方がお相手してくれました。カラシ菜の畑から月山が見えるか訊ねると、「月山ねぇ、農家は下しか見ないから」と、苦笑。「くっきりと見えるのは年にそうないんじゃないかな」といいます。

和ガラシ04.jpg和ガラシ05.jpg ならばと、次の日にもう一度、カラシ菜の畑を訪ねてみました。前日、霧で周囲の景色が何もわからなかったのが嘘のように、朝からすっきりと晴れ渡り、正面に月山の雄大な姿が望めます。振り返ると、うっすらとですが鳥海山の姿も。そして、眼下には鶴岡の街。カラシ菜畑の向こうはアスパラガスの畑で、まだ朝の5時過ぎだというのに、農家の方々が収穫に余念がありません。時折、お母さんたちの笑い声が響いてきます。こんなステキなところで、和ガラシは栽培されていたんですね。和ガラシは、大人の背よりも高く茎を伸ばし、カブやハクサイと同じ黄色い十字花を咲かせます。月山がくっきり見えるなんて滅多にないチャンス。もちろん、月山を入れてカラシ菜の花を写真に収めました。

撮影/'00.6.3

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トウガラシ [野菜の花]

<栃木県那須烏山市・茨城県常陸大宮市>トウガラシ01.jpg インドのカレーは大航海時代にイギリスに渡り、日本へはイギリス経由で伝わりました。イギリス式のカレーは小麦粉でとろみをつけたもので、日本の主食であるごはんにかけて食べるには好都合でした。そして、タマネギ、ニンジン、ジャガイモが北海道で大量に生産されるようになり、具として使われて現在の日本式カレーが出来上がっていったのです。日本式カレーの基本のスパイスはターメリック、クミン、コリアンダー、トウガラシの4種類。このうち辛さを受け持っているのがトウガラシです。

トウガラシ02.jpg

 かつて昭和40年代までまでは栃木や茨城でも広くつくられ、輸出もされていたそうですが、今は小規模な畑が点在するだけとか。栃木県のいくつかの役場に問い合わせると、大田原市のトウガラシ加工専業の会社を紹介されました。電話を入れると社長さんが「私も最近、畑を見てまわってないから、ご案内しましょう。会社が休みの土・日だと一番いい」という返事。花が咲く頃をお聞きし、日にちを打ち合わせて出かけました。

トウガラシ03.jpg 休日の会社へ伺い、話をうかがった後、畑を案内していただきました。畑が広範囲に渡って点在しているため、次の畑へは数10km先の隣町まで走らなければなりません。いや、大変でした。昔のトウガラシの栽培を記録したフィルムがあるからと、帰ってきてから事務所で見せていただきました。一面、真っ赤。上を向いて実をつけるのは、「栃木三鷹」というトウガラシ。社長さんの祖父・父と二代でつくり上げた、辛みの強い品種だとか。映された年代を聞き忘れましたが、少し前までこんな風景が広がっていたのかと思うと、残念でなりません。今は、こちらで育てた種を中国へ持ち込み、向こうで栽培して輸入しているそうです。

トウガラシ04.jpgトウガラシ05.jpg

 前年訪ねた場所を記しておいた地図を頼りに、翌年、自分一人でもう一度訪ねてみました。地図があるから大丈夫だろうと思っていたのですが、人間の記憶など当てにならないもの。すぐ近くまで来ているはずですが、記憶がそこで途切れています。それでも3カ所をなんとか見つけ出せました。トウガラシはナス科で、白い小さな星形の花を、うつむき加減に咲かせます。葉陰にひっそりと咲くため、遠目には目立ちません。「トウガラシがトウガラシとして自己主張する完熟期の10月もいいですよ」。社長さんに言われた通り、秋にも訪れてみると、空に向かって逆立ちした実が赤く色づき、燃えるような美しさを見せていました。

撮影/'99.7.2510.10()

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ナノハナ [ハチミツの花]

<青森県横浜町>ナノハナ06.jpgナノハナ03.jpg 鉞のような形の下北半島を、海岸線沿いに北へ走ると、陸奥湾に面する横浜町に着きます。国道から丘の方へと上れば、そこは一面、光を映してまぶしいばかりのナノハナ畑。横浜町のナノハナは、種から油を採るために栽培されていますが、ハチミツも採られています。昭和30年代前半には換金作物の代表として栽培され、昭和43年には約750ha(東京ドーム約160)の面積があったそうです。手刈りの重労働がネックとなって作付面積が次第に減少したものの、再び増えて平成10年には200haまでになり、日本一の作付面積となりました。(現在は2位)

ナノハナ02.jpg イベント会場にもなっている一番広いナノハナ畑に行ってみました。ナノハナの向こうに、風力発電の風車が立ち並びます。空の青さがくっきりとした快晴でしたが、少しひんやりします。地元の養蜂家・澤谷さんに訊くと、51日に開花宣言が出されたものの、それから低温が続き、採ミツもままならないとか。この日も朝9時で10℃ほど、正午過ぎでも1213℃までしか上がりません。

ナノハナ04.jpg ナノハナ畑から少し離れたところに巣箱が置かれていました。一番近い畑にはミツバチの姿が見られたものの、少し離れるとほとんど飛んでいません。この低温では、元気があるミツバチでも、やっとの思いでミツ集めをしているのでしょう。幸い、満開となった数日後の3日間ほどは好天が続き、なんとかミツバチもミツを集めてくれたと、後から澤谷さんから聞き、少し安心しました。

ナノハナ05.jpg

 ナノハナのハチミツはブドウ糖の割合が多いため、採集直後から結晶が始まり、45日で完全に結晶します。豊富に含まれる消化酵素「ジアスターゼ」が熱に弱く、加熱すると約40%も減ってしまうため、結晶したハチミツを湯煎で溶かせばビン詰めも容易になるのですが、澤谷さんは加熱せずにビン詰めしているのだとか。さらに、常温で保存した場合、20℃を超えると発酵してビンからあふれることがあるため冷蔵で販売し、購入した人にも「要冷蔵」を呼びかけているそうです。おもしろいハチミツですね。

 下北半島のナノハナの開花は5月半ばですが、暖かな地域では早春に咲き始めます。採ミツするほどの面積がなくても、女王バチはミツや花粉が入ることで刺激され、産卵の準備を始めます。ミツバチの数を増やすためにも、ナノハナはもちろん、いろんなミツ源の花が各地で増えてくれるといいですね。

撮影/'08.5.12

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オオムギ [作物の花]

<京都府亀岡市>オオムギ01.jpg この夏も暑かったぁ。迷走台風あり、○○年に一度の豪雨あり、ちょっとおかしな夏でもありました。暑さでカラカラに乾いた喉を潤してくれたのがムギ茶やビールです。ムギ茶、ビールの原料はオオムギ。オオムギは中央アジア原産でイネ科の穀物。ムギ茶には六条オオムギ、ビールには二条オオムギが使われます。ビールの原料にするのはオオムギを発芽させた麦芽。ちなみに、大びん1本のビールをつくるためには、オオムギ約100gが必要だそうです。

オオムギ02.jpg 現在、日本ではその約8割が輸入麦芽だとか。ということは、国内産も2割ほどあるということです。テレビだったか雑誌だったか忘れましたが、京都府亀岡市でオオムギが栽培されているのを知りました。市役所に問い合わせると、作付場所を記した地図や写真まで添え、親切ていねいに教えていただきました。亀岡では、大手ビール会社との契約 (100)で、アサカゴールドという二条オオムギを栽培しているそうです。

オオムギ03.jpgオオムギ04.jpg 京都駅から山陰本線で亀岡駅へ。駅を出ると多くの通勤客が左右に散っていきます。そうか、今日はウィークデーか。通勤というものから遠ざかって久しいため、なんだか妙な感覚です。通勤客らと分かれ、一人、駅にほど近い踏み切りを渡って駅裏の方に出ます。そこには、田んぼが広がっていました。いや、新潟で見慣れているので一面の田んぼかと思いましたが、ムギ畑のようです。風が強く、穂先が激しく揺れています。しばらく畑や風景を眺めていると、雲が切れ、日が差し始めました。さっきまで雨も落ちていたのに、運が向いてきたようです。桂川を渡って保津町を抜けると、一面にムギ畑が広がっていました。どうやら花は終わったようで、穂先が赤く色づき始めています。これはこれで美しい風景なのですが、目的はオオムギの花です。いつの間にか雲が遠ざかり、空がすっきり晴れ渡ってきました。

オオムギ05.jpg しばらく、ムギ畑でヒバリのさえずりなどを聞きながら、ボーッとしていました。花が終わってしまったならしょうがない、あきらめて帰ることに。駅へと向かう途中、一角の畑が目に止まりました。近づいてみると、なんと花が咲いています。やはり、運が向いてきたようです。近づいてみると、白い葯をつけた雄しべが日差しを受けて、キラキラ輝いているように見えます。花が終わってしばらくすると、収穫時期です。ここのオオムギを原料にしたビール、皆さんも飲んでいるかもしれませんね。

撮影/'00.5.11

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アイ [作物の花]

<徳島県上板町>アイ01.jpgアイ03.jpg 老舗の紺屋を取材した際、アイ()についてご主人が「太陽の光に負けないように、植物自体が色素を持つようになります。同じ葉から濃い色素が得られた方がいいわけで、暖かい地方に軍配が上がる。阿波アイが良質とされるのはそのためなんです」と言っていました。ならばと、アイの花を見に、徳島を訪れることに。徳島のアイはよく耳にするので、畑も簡単に探せるだろうと思っていたのですが、ある町に問い合わせると「うちの町では作っていません」という返答。それでも根気よく探すと、徳島市役所から一人のアイ師を紹介していただきました。

アイ02.jpg
 最初に連絡を取ったときは、まだ2回目の葉を刈っているところで、花が咲くのはまだ先だったのですが、間近になってこちらが忙しくなり、電話するのを怠っていると、「もう咲いている」といいます。何事もタイミングというのは難しいものです。逃してしまうと、また1年後まで待たなければなりません。急いで出かけることにしました。 徳島に着くと予想外のどしゃ降り。小降りになったところでアイ師の方の家にお邪魔し、アイの話を伺いました。畑を見せてもらおうとお願いすると、ここの花はもう遅いからと、同じくアイを栽培している上板町のアイ師の方を紹介していただきました。すぐに向かうと、快く撮影を承諾していただき、アイ師さんの家のすぐ隣に広がるアイの畑を見せてもらうことに。どんよりした曇り空でしたが、激しい雨だった朝のことを考えると、雨が上がっただけでも良しとしなくては。

アイ06.jpgアイ05.jpg

 アイはタデ科の1年草で、3月に種をまき、苗が20cmほどに成長したら定植して、7・8月に刈り取ります。葉の部分を天日乾燥し、アイ師によって3カ月かけて発酵させたものが「すくも」と呼ばれるもので、アイ染めの原料になります。秋、濃いピンクの小花をつけますが、アイ師の方の話では本来は白なのだけど、変種の濃いピンクの方が強く、濃いピンクの花が多くなっているそうです。見せていただいた畑も、一部白い花も見られましたが、ほとんど濃いピンク。まだ蕾が多く、花はこれからというところでした。

 近所の方でしょうか、了解を得てアイの花を摘んでいるという女性がいました。押し花にして栞をつくり、人にあげているのだとか。ステキな趣味ですね。日本人の心に深く根ざしたアイ。化学染料全盛の今、こうした自然の素材がまた少し見直されているのは、うれしいことです。

撮影/'01.10.28

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洋ナシ(1) [くだものの花]

<山形県天童市・東根市>洋ナシ(1)01.jpg 買ってきても、しばらくは食べられない。追熟が必要だからです。そのいびつな外見とは裏腹に、中身は濃厚な肉質と特有な香りがあっておいしく、気品のあるくだもの「ラ・フランス」。山形特産のこの洋ナシは、かつて「みだぐなす」と呼ばれていました。みだぐなすとはつまり、見たくなし、見栄えが悪く見たくないものという意味です。

洋ナシ(1)02.jpg 洋ナシが日本に入って来たのは明治の初め。その後、缶詰加工用として、バートレットという品種が盛んに栽培されるようになります。果樹は、単一品種だけでは実を結びにくいため、違う品種を受粉樹として植え、実を結ぶ確率を高めるのです。バートレットの受粉樹として、細々と植えられていたのが、ラ・フランスでした。とても美味であることは生産者の間では知られていたものの、見かけの悪さもあって受粉樹として陰の存在でしたが、昭和40年代に入ると缶詰よりも生食のフルーツへの需要が高まり、ラ・フランスのおいしさが注目され始めたのです。

洋ナシ(1)05.jpg 天童市と東根市の境に、広大な果樹園が広がっています。明治の初期には松林などの原野で、それを果樹畑に開拓し、次第に拡大していったものとか。サクランボ、リンゴ、モモなどに混じって、ラ・フランスが栽培されており、ゴールデンウイーク前後は、これらの果樹が花盛りを迎えます。が、訪れたのが少し早かったのか、洋ナシらしき花は咲いていません。花が咲いていないと、木だけを見てもどれがラ・フランスやら。ちょうど通りかかった果樹園農家のおばあちゃんに、どれがラ・フランスの木かを訊いてみました。教えてもらったのは、割と太い一本の木。やはり花は咲いてなく、まだ早いようです。

洋ナシ(1)04.jpg洋ナシ(1)03.jpg ゴールデンウイークに再度訪れたときは、花が満開となっていました。山形ではラ・フランスの他に、シルバーベルやバートレット、マルゲリットなど10数種類の洋ナシが栽培されているといいます。品種まではわかりませんが、たぶん「ラ・フランス」ということで、写真を撮りました。花は、その果実の濃厚な味わいとは対照的に、清楚な白い花を咲かせます。ラ・フランスは1864年、フランスのクロード・ブランシュ氏が発見し、そのおいしさから「わが国を代表するにふさわしい果物だ」と賛美したことから、その名がついたといいます。しかし、今ではその本国フランスでは栽培されなくなり、日本でしか味わえない品種になっているとか。おもしろいですね。

撮影/'99.4.30  

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八重ザクラ [作物の花]

<神奈川県秦野市>八重ザクラ01.jpg 誰もが開花を心待ちにするサクラ。サクラは主に北半球に分布していて、日本には6系統の原種の流れをくむ300以上の品種があります。これらは、より美しいサクラが見たいと、交配を重ねて生み出したもので、花の重ね、色、枝ぶりなど、優美な特徴をもつ多彩な品種が揃っています。ソメイヨシノは今や全国の約8割を占めるサクラの代名詞的存在ですが、そのほかにも薄緑のギョイコウ、八重咲きのショウゲツ、花色の濃いベニシダレなど、特徴ある美しいサクラもたくさんあります。

八重ザクラ05.jpg八重ザクラ03.jpg 花を愛でるソメイヨシノの名所は全国各地にありますが、花びらそのものが商品になるサクラがあるのをご存じでしょうか。婚礼の席で出されるサクラ湯やあんぱんの上に乗っている塩漬けのサクラです。この塩漬けのサクラの原料となるのは「関山」という品種の大輪八重のサクラで、ガクを除いた花全体を塩と梅酢で漬け込んでつくります。このサクラ漬け生産の、全国シェア7〜8割を占めるのが神奈川県秦野市の千村地区です。どんなサクラなのか見たくて、出かけてみました。秦野に着き、この辺かなとあてずっぽで入り組んだ道を進むと、濃いピンクの八重ザクラが道に沿って数本並んでいました。勘が冴えています。

八重ザクラ02.jpg 奥の方でなにやら、木に上って花を摘んでいるお父さんを発見。なんだか花咲じいさんに見えなくもないですね。「この木がこの辺で一番濃い色なんだよ」と、お父さんは自慢げに話します。確かに、同じように見えたサクラの花も、白っぽいもの、薄いピンク、濃いピンクがあります。ピンクが濃いものほど高値で買ってもらえるのだとか。花を摘みながら、お父さんはいろいろと話を聞かせてくれました。360度ぐるりと大きく枝を広げた幹の真下にいき、見上げてみました。ピンクの花が降り注いでくるかのようです。樹齢どのくらいなんでしょうか、立派なサクラの木です。

八重ザクラ04.jpg 住宅地を抜けると、正面に丹沢の山々を望む開けた場所に出ました。小道の先に、柵で囲まれた八重ザクラの畑があります。自転車で追い抜いていくおじさんに挨拶すると、「きれいでしょう。お金のなる木」と、サクラを指差して笑います。どうやら、八重ザクラの畑の持ち主のようです。この週末が摘み頃で、親戚や近くの中学生、高校生をアルバイトで雇って一気に摘むのだとか。にぎやかな花摘みになることでしょう。美しいから鑑賞にもいいし、お金にもなるなら、一本欲しいものです。
撮影/'00.4.22

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タバコ [作物の花]

<岩手県一関市・新潟県妙高市>タバコ01.jpg

タバコ02.jpg

 キセルをご存じでしょうか。刻みたばこを吸う道具で、昔、祖父が囲炉裏の前に座り、キセルでタバコをうまそうに燻らせていたのを思い出します。かつてキセルの一大産地だった新潟県燕市で、キセル職人の方を取材したことがありました。90歳を過ぎてもなお現役で、これまでつくった一番の自信作を訊ねると、「これからつくる作品じゃないでしょうか」と、意欲満々でした。何事にも前向きというのが、若さの秘訣のようです。

タバコ03.jpg 喫煙の場所がどんどんなくなり、肩身の狭い愛煙家ですが、以前は周辺でもかなり見られたタバコ畑も、ふと気づくと最近は見なくなりました。やはりタバコの消費量もぐっと減っているのでしょうね。ナス科のタバコは南米ボリビアの高地が原産とされ、太い茎を伸ばして卵形の大きな厚い葉をつけます。葉は大きいもので長さが約70cm、幅が約30cm。この葉を乾燥させて、加工したものが紙巻たばこや葉巻などです。タバコの栽培には、「心止め」という作業があります。タバコは背の高い茎のてっぺんに淡い紅色の花を総状につけるのですが、葉に十分な栄養を行き渡らせるために、咲いた花を摘み取ってしまいます。だから、花を見ることができるのは、ほんのわずかな時間なのです。

タバコ05.jpg 岩手県一関市千厩町一帯は、全国有数の葉タバコの生産地として知られていました。千厩には仙台地方専売局千厩出張所があり、その敷地に隣接して「たばこ神社」が建てられたほどです。けれど、喫煙者の減少で葉タバコ生産が激減。タバコ畑も少なくなってしまいました。千厩を訪ねたときは、探し回ったものの、ほとんどの畑が心止めをした後。それでも1カ所だけ、まだ花を咲かせていた畑を見つけることができました。

タバコ04.jpg 新潟県妙高市の大鹿地区も、約350年前に越後で最初に栽培を始めた歴史ある葉タバコの産地です。当時の高田藩がタバコの改良・増産を図り、幕府に献上して以来、その名が全国に広まりました。高級葉タバコの産地として知られていましたが、昭和40年代から葉タバコ生産農家が減少し、10年ほど前についに大鹿地区からタバコ畑が姿を消してしまったそうです。訪れたのはもう20年近く前ですが、このときはまだ、かなりの広さのタバコ畑が残っていた気がします。タバコ畑といっしょに日本百名山の一座、妙高山の雄姿が望めたのが印象的でした。タバコ畑はこれから、ますます貴重になるかもしれません。

撮影/'97.6.30'00.7.7

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